毒を持って毒を制する、そんな生物が深海に存在していました。
中国科学院海洋研究所(Institute of Oceanology, Chinese Academy of Sciences)の研究チームは、西太平洋の深海熱水噴出口という高温な領域に唯一生息する深海ワームについて報告しました。
この生物は、「Paralvinella hessleri」と名付けられており、環境中の猛毒を体内で安全な形に変えて生き延びていたのです。
この研究は2025年8月26日付の『PLOS Biology』誌に掲載されています。
目次
- 極限の“死の環境”に生きるワーム、その秘密とは?
- 「毒×毒=安全な鉱物」に変える仕組み
極限の“死の環境”に生きるワーム、その秘密とは?
深海の熱水噴出口は、海底から高温で有害物質に富む流体が噴き出す、地球でも最も過酷な環境のひとつです。
そこには人間を含む多くの動物にとって致命的な毒物が大量に存在します。
たとえば、ヒ素(As)です。
ヒ素は、生物に対する毒性が強いことで有名であり、量によっては命を奪うことさえあります。
人においては急性中毒で、細胞のエネルギー産生が阻害され、嘔吐や下痢、心不全など様々なトラブルが起こります。
低濃度の暴露であってもそれが長期間にわたると、皮膚ガンや肺ガン、膀胱ガンのリスクが高まるのです。
日本では水道水中のヒ素基準が0.01mg/L以下と定められており、いかに微量でも危険であるかが分かります。
また、硫化水素(H₂S)も存在します。
これは「腐った卵の臭い」で知られる無色の気体で、高濃度だと強烈な毒となります。
人間であれば短時間で、呼吸不全、意識喪失、死に至ることがあります。
つまり、ヒ素も硫化水素もそれぞれ単独で致命的な猛毒であり、両方が存在する熱水噴出口はまさに「二重の死の領域」と言えます。

しかし、この環境に適応して暮らしているのが深海ワーム「Paralvinella hessleri」です。
体長は数センチほどで鮮やかな黄色の体色を持ち、西太平洋の深海の噴出口に群れを作ります。
研究チームの測定では、このワームの組織に体重の約1%以上のヒ素や硫化物が蓄積していました。
通常ならば確実に死を招く状態です。なぜこのワームは耐えられるのでしょうか。
「毒×毒=安全な鉱物」に変える仕組み
Paralvinella hessleriが過酷な環境で生存できる鍵は、その体内で見つかった黄色い粒でした。
電子顕微鏡や分光分析の結果、これらはヒ素(As)と硫黄(S)からなる雄黄(As₂S₃)という鉱物であることが分かりました。
雄黄は水に溶けにくく、毒性が強いヒ素や硫化水素に比べてワームにとって安全なレベルにあります。
つまり、このワームは皮膚細胞にヒ素の粒子を蓄積し、それらを噴射した流体中の硫化物と反応させていたのです。
二つの猛毒を体内で掛け合わせることで、無害に近い固体の鉱物として封じ込めているわけです。
まさに「毒をもって毒を制す」という戦略を実践していました。
今回の研究は少なくとも3つの点で新たな光を見せてくれました。
まず、動物が毒と毒を掛け合わせて体内で解毒するという非常にユニークな仕組みを持っていたという事実が明らかになったこと。
また、似た現象が他の熱水域のワームや巻貝でも示唆されており、極限環境に生息する生物に共通する生存戦略かもしれないということ。
さらに、この戦略は環境汚染物質の無害化技術や地球外生命探査への応用ヒントにもなるかもしれない、ということです。
今後は、顆粒形成の分子メカニズムの解明や応用研究が期待されます。
地球の“死の環境”で、毒を味方につけた黄色い小さな体は、生命のしたたかさをこれ以上なく鮮やかに示しています。
参考文献
Deep sea worm fights ‘poison with poison’ to survive high arsenic and sulfide levels
https://www.eurekalert.org/news-releases/1095081
元論文
A deep-sea hydrothermal vent worm detoxifies arsenic and sulfur by intracellular biomineralization of orpiment (As2S3)
https://doi.org/10.1371/journal.pbio.3003291
ライター
矢黒尚人: ロボットやドローンといった未来技術に強い関心あり。材料工学の観点から新しい可能性を探ることが好きです。趣味は筋トレで、日々のトレーニングを通じて心身のバランスを整えています。
編集者
ナゾロジー 編集部