近年、「ありのままの自分でいよう」「自分らしく生きよう」といったメッセージを、SNSや企業広告、自己啓発本などでよく目にします。
職場でも「自分の個性を大切にしてほしい」「本音で語ろう」といった言葉が使われ、“自分らしさ”こそが人間の価値であり、幸せや成功のカギだとされる雰囲気があります。
では、「ありのままの自分でいる」ことは全面的に正しいのでしょうか?
この問いに鋭く切り込んだのが、ビジネス心理学者で、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンとコロンビア大学の教授でもあるトマス・チャモロ=プレミュジック氏です。
彼は、「自分らしさ」に潜む意外な落とし穴と、これからの時代に必要な“より良い自分”について考察しています。
目次
- 「自分らしさ」ブームと、見落とされがちな危険
- 「より良い自分」を目指すために大切なこと
「自分らしさ」ブームと、見落とされがちな危険
「自分らしさ」や「本物らしさ」という言葉が、現代の流行になっています。
スーパーの食品や、SNSのインフルエンサー、企業の商品、会社の文化にまで「本物の」という言葉が使われ、「リアルな自分」「本音」が大切だと強調されています。
こうした「自分らしさ重視」の流れは、実は昔からあります。
古代ギリシャのソクラテスは「汝自身を知れ」と語り、哲学者たちも「自分に正直であれ」と教えてきました。
しかし時代が進むにつれて、宗教や伝統よりも「自分探し」や「自分の気持ちに従う」ことが大切にされるようになりました。
そして現代では「他の人と違う自分」「自分だけの個性やブランド」が重視されるようになりました。
とはいえ、こうした「自分らしさ」を絶対視すると、さまざまな問題が生まれてしまいます。
チャモロ=プレミュジック氏は「自分らしさの追求」の暗い側面をいくつか説明しています。
1.「自分らしさ」が「自分勝手」になりやすい
「自分らしく生きることが一番大事」と思いすぎると、他人への配慮や協力よりも、自分の気持ちや好き嫌いを優先しがちになります。
その結果、みんなが自分勝手にふるまう社会になりやすく、誰もが自分の“個性”や“ブランド”をアピールし合うだけで、助け合いや協力が難しくなります。
2.「本音だから許される」と勘違いしやすい
「私は本音で話す人間だから」「ありのままの自分を隠さない」と言えば、無遠慮な発言や相手を傷つける行動も許されるような雰囲気になります。
「正直なだけ」「思ったことを言っただけ」であっても、相手が嫌な思いをするなら、本当は配慮が必要です。
3.分断や対立の原因にも
「自分の価値観を大切にしよう」「自分の信念を曲げない」という考え方も、全員が強く持ちすぎると、他の人の意見に耳を貸さなくなりがちです。
「自分が正しい」という思い込みが強くなると、意見の違う人と話し合ったり、歩み寄ったりすることが難しくなり、社会全体が対立しやすくなってしまいます。
4.仕事や人間関係がうまくいかないことも
「他人の評価を気にせず自分らしく」と言われても、現実の職場や人間関係では、他人への配慮や信頼されること、空気を読むことがとても大切です。
何でも自由に思ったことを言ったり、自分の気持ちを最優先にしたりするだけでは、周りから信頼を得ることが難しくなる場合があります。
5.「本物でいられる」のは一部の人だけ?
「自分らしくあれ」という自由は、実は強い立場の人だけが安心して使える面もあります。
社会的に弱い立場の人やマイノリティの人が本音を出すと、不利になったり、差別されたりするリスクが高くなりします。
つまり、「本物でいられること」自体が、みんなに平等な権利とは限らないのです。
ここまでで、自分らしくあることの暗い側面を考慮してきました。
では、こうした暗い側面の影響を受けすぎないようにするには、どうすれば良いでしょうか。
「より良い自分」を目指すために大切なこと
「自分らしさ」を大切にしながらも、どのようにバランスを取れば良いのでしょうか?
チャモロ=プレミュジック氏は、「より良い自分(最善の自己)」を目指すための4つのポイントを提案しています。
1.相手への思いやり・配慮を大切にする
本音や個性も大切ですが、それ以上に「相手の気持ちを考えること」「場の雰囲気を読むこと」が重要です。
特にリーダーや影響力のある人は、みんなが安心して自分を出せるような環境をつくることが求められます。
2.「本音=良いこと」と思い込まない
思ったことをすぐに口にしたり、遠慮なく意見を言うことが「強さ」や「誠実さ」と見なされがちですが、場に応じて発言や態度を調整できるのも立派な大人の力です。
相手のことを考えて、時には自分の意見を言わずにおくことも大切です。
3.自分の価値観も時には見直してみる
「自分が正しい」と思い込みすぎず、時には他の人の意見や価値観にも耳を傾けてみましょう。
自分の考えを疑ったり、新しいことを学ぼうとする姿勢が、成長や人間関係の広がりにつながります。
4.「全部さらけ出す」より「より良い自分」を意識する
人は誰でもいろいろな面があります。
怒ったり、落ち込んだり、時には意地悪になってしまうこともあります。
だからこそ、「ありのままの全部」をそのまま出すのではなく、「他の人とうまくやっていける自分」「みんなと気持ちよく過ごせる自分」を意識してみましょう。
これが「より良い自分(最善の自己)」を目指す、ということです。
ここまでで考慮したように、「自分らしくある」ことや「本物の自分でいよう」という考え方は、もともと人を自由にし、前向きにしてくれる大事なものです。
しかし、それだけにこだわりすぎると、自己中心的になったり、周囲の人とのトラブルを抱えたりします。
自分だけが得をする“特権”のような側面も生まれてしまうでしょう。
そのため、「自分らしさ」や「本音」だけでなく、思いやりや配慮、成長しようとする姿勢も大切にすべきです。
「自分らしさ」と「思いやり」のバランスを見つけること。
それが、これからの時代の「本当に生きやすい自分」への第一歩なのかもしれません。
参考文献
The Problem With Your Authentic Self
https://www.psychologytoday.com/us/blog/mr-personality/202509/the-problem-with-your-authentic-self
ライター
矢黒尚人: ロボットやドローンといった未来技術に強い関心あり。材料工学の観点から新しい可能性を探ることが好きです。趣味は筋トレで、日々のトレーニングを通じて心身のバランスを整えています。
編集者
ナゾロジー 編集部