「結婚廃止」「恋人共有」:2000年前のポンペイ遺跡から過激思想が明らかに

ポンペイ

西暦79年、ヴェスヴィオ火山の大噴火によって黒焦げとなった巻物が、約2000年の時を経て現代に口を開き始めました。

イタリアのピサ大学とイタリア国立研究評議会(CNR)のチームが行った研究により、ポンペイ近郊の町ヘルクラネウムで火山灰に埋もれた古代の巻物の解読が進み、これまで解読困難とされていた内容が確認できるようになったのです。

巻物には、哲学者 ゼノン が著したと伝えられる『共和国』と呼ばれる書物に関する批判や評価が刻まれていました。

この『共和国』には「結婚制度の廃止」「恋人の共有」「貨幣の廃止」「裁判制度の否定」「財産の共有」「男女の完全な平等」「同性愛の容認」といった急進的な内容が記述されており、「性や社会に関する恥ずべき慣行を推奨する道徳的に疑わしい本だ」と当時の哲学者から評されていたことが、一次資料としてはっきり確認されました。

“理性”や“節制”を掲げて冷静な哲学として知られてきたストア派ですが、新たな発見はその創始者ゼノンが実は、古代のタブーに真正面から挑むような思想を描いていたことを改めて教えてくれます。

現代の文化戦争のようなものが古代世界でも起きていたのでしょうか?

研究内容の詳細は2025年10月8日に『Scientific Reports』にて発表されました。

目次

  • 理性を重んじるストア派創始者ゼノンの意外すぎる一面
  • 古代の「文化戦争」?火山灰から現れたストア哲学の過激な一面

理性を重んじるストア派創始者ゼノンの意外すぎる一面

理性を重んじるストア派創始者ゼノンの意外すぎる一面
理性を重んじるストア派創始者ゼノンの意外すぎる一面 / Credit:Canva

ポンペイ近郊のヘルクラネウムで18世紀に発見された「ヘルクラネウムのパピルス」は、世界で唯一現存する「焼けた図書館」として知られています。

西暦79年、ヴェスヴィオ火山の大噴火によってこの地域は灰に覆われました。

町の人々だけでなく、本棚に収められていた貴重な巻物までもが、一瞬にして約320℃の熱で炭のように黒焦げとなったのです。

普通ならばこのような高温にさらされた紙は完全に燃えてしまいますが、火山灰にすっぽりと覆われ酸素が遮断されたおかげで、焼けきらずに「炭化」という特殊な状態で保存されました。

まるで灰のタイムカプセルに閉じ込められたような状態です。

ただ、この炭化した巻物は、あまりにももろくて扱いが難しいものでした。

18世紀に発見された当時は、巻物を無理やり広げようとすると崩れてしまい、中身の文字が完全に失われてしまう危険があったのです。

古代の知識を読みたい歴史家や研究者たちは、この壊れやすい巻物を安全に読む方法を長年模索してきました。

つまり、「壊さずに、どうやって黒焦げの巻物を読むのか?」という難問を解決する必要があったのです。

そこで、近年では最新の科学技術が使われ始めました。

例えば、近赤外線カメラを使って巻物の表面から僅かに残る文字の痕跡を探したり、X線CTスキャンを用いて巻物を立体的に「仮想的に開く」試みが行われました。

実際に近赤外線カメラを使うことで、一部の巻物では文字が読めるようになり、X線CTでも巻物を開かずに中身の一部を読み取ることに成功しました。

しかし、大きな問題が残っていました。

巻物に使われたインクは紙と同じ炭素でできているため、ほぼ同じ黒色でコントラストが非常に低かったのです。

つまり、「黒い紙に黒い文字が書かれている」という状態で、文字が非常に読みづらかったのです。

もっとはっきり読むには、全く新しいアプローチが必要でした。

この「黒い図書館」の中で特に重要視されていたのが、ストア派哲学の祖ゼノンに関連した巻物でした。

ゼノンは「感情に流されず理性的に生きる」というストア哲学を創始した人物です。

ストア派というと、欲望や怒りに振り回されない冷静な人間を目指す哲学として知られており、後のローマ帝国の皇帝や将軍たちもこの教えに影響を受けました。

しかし、ゼノン自身が書いた『共和国』という書物については、かなり急進的で常識を超えた社会像を描いていた可能性が指摘されており「結婚制度の廃止」「恋人の共有」「貨幣の廃止」「裁判所の廃止」「財産の共有」「男女の完全な平等」「同性愛の容認」といった当時の道徳観では受け入れがたい、かなり目覚めた主張がなされていたとされています。

またそのような主張に対しての批判も多く、フィロデモスのような哲学者からは「道徳的に問題がある」と見なされていました。

ところが肝心の巻物たちが炭化していて、詳細がはっきりとは読めない状態が続いていました。

ストア派の創始者ゼノンが、実際にはどんな大胆な思想を描いていたのか――

それをより正確に知るために、炭化巻物をくっきりと読み取ることが望まれていたのです。

古代の「文化戦争」?火山灰から現れたストア哲学の過激な一面

古代の「文化戦争」?火山灰から現れたストア哲学の過激な一面
古代の「文化戦争」?火山灰から現れたストア哲学の過激な一面 / パルス熱サーモグラフィー(能動赤外線サーモグラフィー)/Credit: CNR

では、実際に「焼け焦げた巻物に書かれた文字」をどうやって読むことができたのでしょうか?

今回鍵となったのは、「パルス熱サーモグラフィー(能動赤外線サーモグラフィー)」という技術です。

難しい名前に聞こえるかもしれませんが、実はとてもシンプルな原理を使っています。

簡単に言うと、物体に短く強い光の「熱」を当て、その熱がどのように冷めていくのかを赤外線カメラで観察する方法です。

もともとは航空機の翼や工業的な部品に小さなヒビや内部欠陥がないかを調べるためなど、工業現場で使われてきた手法でした。

今回、研究者たちはこの技術を、ヘルクラネウムの炭化したパピルスに初めて本格的に試しました。

やり方はとても慎重です。

まず、巻物にカメラのフラッシュのような短い光の熱を当てますが、その熱はたった2〜3℃だけ紙を温める程度です。

これは夏の日差しよりもはるかに弱い熱で、巻物を傷つける心配はありません。

その後、赤外線カメラを使って巻物が冷めていく様子を高速で撮影します。

すると、不思議なことに、インクが書かれた部分と何も書かれていない部分では、光を吸収して温度が上がる・下がる様子が微妙に異なります。

その違いが画像にくっきりと文字として現れるのです。

たとえるなら、手紙の紙にレモン汁で書いた見えない文字が、火にかざすと浮き出る昔ながらの“秘密の手紙”のようなイメージです。

この方法は巻物を無理やり広げたり、強い光や熱を使って壊したりすることがありません。

ごくわずかな熱で、安全に文字を読み取れるようになりました。

つまり、巻物を守りながら中身を明らかにすることができたのです。

それでは、この技術で見えてきたゼノンの「禁断の思想」とは、一体どのようなものだったのでしょうか?

研究者たちは炭化した巻物の中にあったフィロデモスという古代哲学者が書いた『ストア派学派史』のこれまで読めなかった部分をこの技術によって大きく読みやすくました。

それによると、フィロデモスはゼノンの『共和国』を「道徳的に疑わしい内容で、性や社会について恥ずかしい慣行を推奨するもの」と評していたのです。

先にも述べたように、ゼノンは「結婚制度の廃止」「恋人の共有」「貨幣の廃止」「裁判所の廃止」「財産の共有」「男女の完全な平等」「同性愛の容認」といった現代から見ても極めて進歩的な主張を展開していましたが、フィロデモスはそれが間違いであると反論していたわけです。

こうしたゼノンの「禁断の思想」自体は、他の文献からも断片的には知られていましたが、新たな分析により「フィロデモスがどの言葉を使って、ゼノンを批判していたか」という生々しい一次資料が今回これまで以上にはっきりと確認されました。

つまり、ゼノンの過激な思想が単なる噂ではなく、当時の哲学者から実際に問題視されていたというより直接的な証拠が、2000年の時を超えて鮮明になったのです。

そして、ゼノン自身の人間的な姿も、パピルスから浮かび上がりました。

彼はフェニキア出身の外国人で、ギリシャ語の発音が悪いと嘲笑されていました。

粗食で身体が弱く、宴会も避けがちでしたが、最終的にはその知性と人柄から、アテナイ市から公的な葬儀で顕彰されるほど尊敬される哲学者になりました。

パピルスの中の文字は、単に思想だけでなく、古代人ゼノンの素顔そのものを鮮やかに蘇らせているのです。

ピサ大学の研究を率いるラノッキア教授は、「今回の発見は、ギリシャ哲学史上の重要な出来事や人物への理解に大きな影響を与える可能性がある」と語っています。

単なる技術の成功にとどまらず、思想や哲学の研究にも新しい視点をもたらす、大きな一歩となりました。

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参考文献

Archaeologists stunned as secrets of long-lost Pompeii decoded for first time in 2,000 years
https://www.gbnews.com/science/archaeology-breakthrough-message-pompeii-scroll-decoded

元論文

Pulsed thermographic analysis of Herculaneum papyri
https://doi.org/10.1038/s41598-025-19911-w

ライター

川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。

編集者

ナゾロジー 編集部

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