東京大学の物理学者によって「猫状態の光」で電子を“猫”にする理論研究が発表されました。
この研究では特殊な「シュレディンガーの猫状態」の量子的性質を持つ光を当てて観測することで、多数の電子をまるごと量子重ね合わせ状態(シュレディンガーの猫状態)に誘導できる可能性が示されています。
これはある意味で「量子の猫を光から物質へ渡すこと」とも言えるでしょう。
これまでは猫状態の光を照射するだけでは電子を猫状態に保つことは難しいと考えられていましたが、「測定」という操作が量子性を復活させ、電子の集団全体を協調させるスイッチになることが理論的に明らかになったのです。
しかし測定は本来、量子的状態を壊してしまうはずです。
なのになぜ観測することで、光は電子を猫状態にできたのでしょうか?
研究内容の詳細は2025年8月15日に『arXiv』にて発表されました。
目次
- 量子の猫はこうして物質へ飛び移る
- 測定すると量子的状態が壊れるどころか生まれる
量子の猫はこうして物質へ飛び移る

量子の世界では、「同時に複数の状態を取る」という不思議な性質が存在しますが、この奇妙な性質を持つ代表的な例が「シュレディンガーの猫状態」と呼ばれるものです。
これは簡単に言えば、「生きている状態と死んでいる状態が同時に重なって存在する猫」のように、日常の常識とはかけ離れた状態です。
本研究は、この「猫状態」をまず光の中に作り出し、さらにその奇妙な状態を物質(電子の集団)へと移そうという、とてもユニークで挑戦的なテーマを持っています。
ここで重要になるのが、光そのものをどうやって量子状態にするか、という部分です。
量子の世界では、光をレーザーなどでとても特殊な形に調整することで、「右向きと左向き、二つの振動状態が同時に存在している」という不思議な光(量子状態の光)を作ることができます。
このような光を、科学者たちは比喩的に「猫状態の光」と呼びます。
この光を使えば、それを電子などの物質に当てることで、物質にも光と同じような不思議な状態を作り出せるのではないか――そんな夢のようなアイデアが近年注目を集めています。
ところが現実は、なかなか簡単には進みません。
これまでの研究や理論計算によると、猫状態の光を使ったとしても、その光がとても強く(振幅が大きく)なった場合には、電子の集団は量子的な重ね合わせ状態にはならず、結局は「右向きか左向きか、どちらか一方だけの状態」に落ち着いてしまうことが知られていました。
これは、量子の世界で「重ね合わせの状態」が非常に壊れやすく、電子が多数集まるような大規模な系になるほど、光が運んだせっかくの「量子のゆらぎ」(位相と呼ばれる微妙な情報)が、平均化されて簡単に消えてしまうからです。
つまり、せっかく量子状態を物質に渡そうとしても、その物質が持つ規模が大きいほど、量子の繊細さが失われてしまい、普通の状態に戻ってしまうわけです。
実際、大規模な(振幅が大きな)猫状態の光を物質に当てると、電子の集団は全体として「古典的な混合状態」という普通の状態に見えてしまうことが理論的にも示されていました。
言い換えるならば、「量子の猫を光から物質へ渡すこと」は、現実的には非常に難しいことだったのです。
では、このような難題にどうやって対処すれば良いのでしょうか?
そこで今回、研究を行った科学者は、とてもユニークな作戦を思いつきました。
それは「光の状態を途中で測定してしまう」という逆転の発想です。
通常、量子の世界では「観測や測定」はとても厄介なもので、量子状態を壊してしまう原因だと考えられています。
しかし研究者は、逆にこれを利用する方法を見つけました。
具体的には、電子に猫状態の光を当てたあと、光が電子と作用した後の状態を測定します。
ここで行われる測定とは、光に含まれる光子の数が偶数なのか奇数なのかを見分ける「光子数パリティ測定」と呼ばれる方法や、あるいは光の波の高さや向き(振幅・位相)をとても細かく測る「ホモダイン測定」という方法です。
これらの測定を行うと、光が本来持っていた「量子的な揺らぎ」が特定の状態に絞り込まれ、その結果、電子集団の方も同時に二つの極端な状態が重なり合った「猫状態」に移ることが明らかになりました。
補足コラム:なぜ光の測定で電子たちが量子状態になるのか?
光を「測る」ことで電子たちが一斉に量子的な状態になるという現象は、一見すると不思議な話に感じられます。実は、この背後には「量子もつれ(エンタングルメント)」という特殊な仕組みが関わっています。電子集団に猫状態の光を当てた直後の状態を想像してみましょう。この段階では電子と光が互いに深く絡み合い(量子もつれ)、一方の状態を調べることで、もう一方の状態が即座に決まるという関係性が生まれています。まるで、一つの封筒を開けた瞬間に、もう一つの離れた封筒の中身が分かってしまうようなものです。ここで重要になるのが光の測定です。特殊な方法で光の状態を測ると、光が持つ多数の可能性の中から特定の状態が選び出され、決定されます。すると、この測定結果によって光と深くもつれていた電子たちも瞬間的に特定の量子状態に移ることになるのです(ポストセレクションの一種です)。具体的には、光が二通りの相反する状態(例えば波の高さが正反対)を同時に持つ「猫状態」だった場合、測定でそのどちらか一方の特性が明らかになると、電子集団の方もそれに対応して、同時に二通りの状態を取る特別な量子状態へと「絞り込まれる」のです。言い換えると、「測定」という行為が光と電子の曖昧な結びつきを一気にクリアにし、電子を量子的に整列させる役割を果たします。つまり、「光を測る」ことが量子的な状態を壊すのではなく、逆に電子たちを「集団で猫状態」に誘導するためのカギとなっているのです。このように、量子の世界では「測る」ことが新しい量子状態を生み出す不思議な現象が起きるのです。
今回の理論研究では、この「測定によって電子が猫状態になる仕組み」が、8個から32個の電子という比較的多くの粒子数でもうまく機能することが確かめられています。
さらに、理論上は電子の数をどんどん増やしほぼ無限(熱力学的極限)になっても、この方法で一瞬だけ量子重ね合わせ状態を作ることが可能だと示されています。
この発見は、現時点では理論とコンピューターによるシミュレーションに基づくものですが、大規模な電子系において、量子の不思議な性質を引き出せる可能性を示した画期的な成果です。
実際、電子の状態を詳しく調べると、測定を行わなかった場合にはほとんど見られなかった「量子もつれ」(エンタングルメント)が、測定によってある瞬間に急激に強まり、多数の電子が一斉に一つの量子状態としてまとまることが確認されています。
このとき、電子の集団の空間的な分布には非常にはっきりした「縞模様」が現れ、この模様が量子的な重ね合わせが生じている強力な証拠となっているのです。
つまり、今回の研究によって「猫状態の光とその測定を使えば、電子集団をまるごと猫状態にできる」という驚くべきアイデアが、理論とシミュレーションによって初めて明確に示されたというわけです。
測定すると量子的状態が壊れるどころか生まれる

量子の世界には「観測するとその状態が壊れてしまう」という常識がありますが、今回の研究が注目される理由は、この観測を「量子状態を作り出すための強力な道具」として積極的に利用している点にあります。
これは、量子力学の一般的なイメージからすると、ちょっと意外で驚きのある発想です。
なぜなら、量子の世界では、観測や測定という行為がもともと「厄介者」として考えられているからです。
例えば、量子の状態はよく「波のように広がった可能性」としてイメージされますが、この広がった可能性を測定すると、波が急に一か所に絞られてしまい、本来の量子としての「不思議な重ね合わせの性質」が失われてしまいます。
一般には、量子状態の持つ繊細な性質を壊す原因が「測定」だと考えられているのです。
ところが今回の研究では、その観測や測定をまったく違う角度から利用しています。
研究チームが使ったのは、「猫状態」という不思議な量子の性質を持つ光を電子集団に当て、その後でその光の状態を詳しく測定する、という方法でした。
この方法では、光が持っている「量子のゆらぎ」を観測によって一つの状態に絞り込むことで、その光と相互作用した電子集団の側にも同じように特定の量子状態を生み出せる可能性があります。
つまり、量子の世界においては、「見ること」がかえって「新しい状態を作ること」に結びつく、という不思議な現象をうまく活用しているわけです。
とはいえ、このようにして量子の状態を作り出すためには、いくつか非常に厳しい条件があります。
特に重要になるのは、「光子数パリティ測定」や「ホモダイン測定」という精密な測定技術です。
「光子数パリティ測定」というのは、光の中に含まれる粒子(光子)の数が偶数なのか奇数なのかを正確に見分ける方法で、「ホモダイン測定」というのは光の波の高さや揺れる方向(位相や振幅)を非常に細かく測定する方法のことです。
どちらの測定も、精度が高くなければ、このような量子状態を作り出すことは難しいのです。
また実験の難しさは、測定の精度だけではありません。
測定を行う時には周囲の雑音(ノイズ)や不要な干渉を可能な限り抑え、クリアな環境を整えなければなりません。
その上、今回の理論が示している量子状態は「一瞬だけ鋭く立ち上がる」ような非常に繊細なものです。
理論的には、電子の数が増えれば増えるほど、量子の猫状態が生まれる瞬間が短く、かつ非常に鋭いピーク状になることが示されています。
驚くことに、理論上では電子の数を無限に近づけて巨大な集団にした場合でも、その一瞬の量子状態が現れることが予測されているのです。
つまり、この方法は、理論上はどんなに大規模な系であっても、適切な条件さえ整えば、量子の不思議な性質を一瞬でも実現できる可能性を示しているのです。
もちろん、このような現象が実験で実現されるまでにはまだ課題がありますが、もし実現できた場合の影響は非常に大きなものになるでしょう。
例えば、量子コンピューターの性能を飛躍的に向上させたり、極めてわずかな変化を見逃さない超高感度なセンサーを作ったりすることが考えられます。
それはなぜかと言うと、こうした量子的な重ね合わせ状態(シュレディンガーの猫状態)は、多数の粒子が一斉に協力し合っているため、ごくわずかな外からの刺激(摂動)にも非常に敏感に反応するからです。
この性質を利用すれば、「究極の精度を持つ計測器」のような、まったく新しい装置が生み出せる可能性があります。
また、量子コンピューターにおいて非常に重要な課題である「誤り訂正」という分野でも、このような猫状態を応用する方法が将来的に議論される可能性もあります。
とはいえ、現時点では、この研究はあくまで理論的な研究段階です。
実際の実験による検証はこれからの課題ですが、今回の発見は量子力学の常識を大きく変える可能性を秘めていることは間違いありません。
これまで「測定は量子の状態を壊すものだ」と言われてきた常識を覆し、「測定するからこそ新しい量子状態が生まれる」という逆転の発想が、理論的な解析とコンピューターシミュレーションによって初めて明確に示されたからです。
有名な「シュレディンガーの猫」のたとえ話では、「箱を開けて観測すると猫の量子状態が壊れて死ぬか生きるか決まってしまう」とされていますが、今回の研究成果を例えて言うなら、「箱の中の光を測定することで、逆に猫が再びよみがえる」ようなことが可能になるかもしれない、というわけです。
元論文
Inducing macroscopic cat states of nonequilibrium electrons via cat-state light irradiation and projective measurements
https://doi.org/10.48550/arXiv.2508.11769
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部