「もつれ電池」は量子もつれの注入と蓄積ができる

思考実験

ポーランドのワルシャワ大学(UW)を中心とする国際共同研究によって、量子の世界における「量子もつれ」という現象を熱力学のように可逆的に操作する新たな手法が発見されました。

これまで量子もつれは一度使われると完全に元の状態には戻せない「使い捨て」の資源とされてきましたが、「もつれ電池」というシステムを導入することで、もつれを自由に出し入れし、まるで巻き戻し可能なビデオテープのように扱えることを理論的に証明しました。

研究者たちはこれが熱力学第二法則の量子もつれ版であると述べています。

果たして量子情報の世界にも熱力学の第二法則に匹敵する普遍的な法則が存在しているのでしょうか?

研究内容の詳細は2025年7月2日に『Physical Review Letters』にて「」発表されました。

目次

  • 量子もつれは熱力学第二法則と関連しているのか?
  • もつれ電池が動くことで量子力学版の熱力学第二法則が確認された
  • もつれ電池は量子テクノロジーをどう変えるのか?

量子もつれは熱力学第二法則と関連しているのか?

量子もつれは熱力学第二法則と関連しているのか?
量子もつれは熱力学第二法則と関連しているのか? / Credit:Canva

私たちの部屋は、普通に生活をしていると次第に散らかってしまいます。

いったん散らかってしまうと、それを元通りに整理整頓するには多くのエネルギーが必要で、自然にきれいに戻ることはほぼありません。

物理学の世界にも、これと非常によく似た現象があります。

それは「エントロピー増大の法則」または「熱力学第二法則」と呼ばれています。

この法則は、「孤立したシステムの乱雑さ(エントロピー)は、自然に増えることはあっても、勝手に減ることはない」という原理を示しています。

つまり、一度増えてしまった「乱雑さ」は、何もしないまま完全に元の整った状態へ自然に戻ることはありません。

このため、熱力学第二法則は「時間の流れが一方向にしか進まない理由」として知られています。

一方、量子の世界には、私たちの日常では想像しにくい奇妙な現象がいくつかあります。

その代表例が「量子もつれ」です。

量子もつれとは、二つの粒子が、まるで目に見えない糸でつながっているかのように、離れていても完全に同期して動くという不思議な相関のことです。

片方の粒子を観察すると、もう片方の粒子の状態が瞬時に分かるという現象で、これはアインシュタインも不思議に感じたほど奇妙なものです。

近年、この「量子もつれ」は、量子コンピューターや量子通信といった、次世代の情報技術を支える非常に重要な基盤として注目されています。

しかしこの量子もつれは、「もつれの強さ」という量で定量化でき、その量が変化する様子は、熱力学のエントロピーと驚くほど似た特徴を持つことが知られていました。

このため、多くの物理学者は「もしかすると量子もつれにも、熱力学第二法則のような一方向のルールが働いているのではないか?」と疑問を持ち始めました。

実際、理想的な条件下である「純粋状態」と呼ばれる完璧な量子もつれ状態に関しては、この疑問はすでに答えが出ています。

純粋状態の量子もつれであれば、別のもつれ状態に完全に変換した後でも、再び元の状態へきれいに戻すことができることが「数学のレベルでは」示されていました。

つまり、「理想的なもつれ」は完全な可逆性を持ち、エネルギーが減ることのない理想的なバネのような性質を示していました。

(※これは熱力学によって動くカルノーエンジンが理想的な状態を示す状況と似ていると言えるでしょう)

しかし実際には、私たちが量子通信や量子コンピューターで扱う量子状態は必ず何らかの外部ノイズや乱れを受けてしまい、「混合状態」と呼ばれる、少し乱れた状態になってしまいます。

そしてこの「混合状態」の量子もつれは、純粋な状態とは大きく異なり、一度操作をすると再び完全に元のもつれ状態に戻せないことが分かっていました。

たとえるなら、完璧に整えられた髪が一度雨や風で乱れてしまうと、自分の手で整えても完全には元の状態には戻らないような状況です。

特に極端な例として知られる「バウンドもつれ」という量子状態では、量子もつれを作り出すためにエネルギーや資源を消費しているにもかかわらず、その後は役立つ量子もつれを一切取り出すことができません。

これはまるで、お金をかけて複雑な機械を組み立てたのに、組み立て終わった途端にもうその機械を使って有益な仕事ができないという状況に似ています。

つまり、現実的な量子状態のもつれは「一度使ったら元に戻せない使い捨ての資源」のようにしか使えないというのが、これまでの量子情報科学の常識だったのです。

こうした状況に対して、科学者たちは次のようなアイデアを考えました。

それは「もつれ電池(エンタングルメントバッテリー)」と呼ばれる特別な量子システムを用意して、もつれを前もって蓄えておき、不足したときに貸し出し、操作が終わった後に再び同じ量を戻してもらうという仕組みです。

化学反応で、触媒が反応を促進しながら自分自身は変化しないのと同じように、このもつれ電池は自らの量子もつれを減らすことなく、他の量子系のもつれを自由に変換する助けとなります。

では実際に、このような「もつれ電池」を用いて、本当に量子もつれを自由自在に変換し、完全に元の状態に戻せるのでしょうか?

そして、理論的に示されたこの新たな可能性を、研究者たちはどのようにして証明したのでしょうか?

もつれ電池が動くことで量子力学版の熱力学第二法則が確認された

もつれ電池が動くことで量子力学版の熱力学第二法則が確認された
もつれ電池が動くことで量子力学版の熱力学第二法則が確認された / Credit:Canva

「もつれ電池」を用いることで、本当に量子もつれを自由自在に元通りに戻すことができるのでしょうか?

また、それを理論的にどのようにして証明したのでしょうか?

この疑問に答えるために、研究チームは次のような理論的な思考実験を行いました。

ここではまず、「量子情報の世界でよく登場する二人の架空の人物、アリスとボブ」が登場します。

彼らは遠く離れた別々の場所にいて、それぞれが自分の手元に「量子ビット」と呼ばれる量子情報の基本単位を持っています。

この量子ビット同士が「量子もつれ」の状態にあり、アリスとボブの間には、この「もつれ」によって量子情報が強力につながっている状態になっているのです。

ただ両者の間にある量子的繋がりは「理想状態」ではなく消費すれば消えてしまう「現実的」なものとします。

ただし2人は追加の共有資源として「もつれ電池」を用意し、その内部に一定のもつれ(相関)量を蓄えた初期バッテリー状態を準備します。

次に両者は自分たちの持つ初期状態を目標とする別のもつれ状態へ変換することを試みました。

同時に、上記のもつれ電池から相関を「借りたり返したりする」ことが許されます。

量子もつれAを消費して無くしてしまうのではなく、別の量子もつれBに変換し、その量子もつれBをもつれ電池に返し、そして2人の元に再び新たな量子もつれAが届けられるというサイクルを行うわけです。

すると非常に興味深い結果が得られました。

もつれの変換後、バッテリーには当初と同じかそれ以上のもつれが蓄えられていたのです。

さらに重要なのはある状態Aから別の状態Bへの変換を行ったあと、同じ手順を逆向き(BからAへ)に適用してもらえば、一切のロスなく元の状態に戻せることがわかりました。

実際、研究チームは数学的に状態Aが状態Bへ変換可能であり、かつ逆変換も可能であるための必要十分条件が「状態Aの量子もつれの大きさE(A)が状態Bの量子もつれの大きさE(B)以上であること「(E(A) ≧E(B」)」を示しました。

Eは量子もつれの「大きさ」を測る指標のようなもので、古典熱力学におけるエントロピーに相当するものです。

ここで注目すべきなのは量子もつれの大きさを示す(E(a) ≧E(b)の間にイコールがあることです。

研究者たちが示したのは、「変換前のもつれ量が変換後のもつれ量よりも多い(または同じ)ならば、変換は必ず可能であり、逆方向の変換も必ず可能である」という非常に明快な条件でした。

この結果は「量子もつれは、操作の過程で量子もつれの総量が減少しない」という、いわば量子世界の「第二法則」という新たな普遍的法則があることを示しています。

先にも述べたように通常の熱力学第二法則ではエントロピー増大の法則であり、「エネルギーの総量」は変化しなくても、エネルギーの「質」は常に劣化し、使いやすい形から使いにくい形(乱雑な状態)へ一方通行的に変化してしまうことを指し示します。

同様にこれまで量子もつれの操作は「一度変換したら元に戻らない」不可逆的なプロセスとして、熱力学第二法則のもつ性質(エントロピーの不可逆な増加)とよく似た挙動をしていました。

しかし今回の研究では「もつれ電池」を導入することで、このような従来の不可逆性が完全に克服され、「量子もつれが決して失われない完全可逆な変換」が可能であることが示されました。

つまり、「もつれ電池」という新たな枠組みを用いると、量子もつれの変換が理想的でエントロピーが増加しない、完全に可逆なサイクルを構築できるという意味で、熱力学の第二法則に対応するような「量子版第二法則」が成り立つわけです。

言い換えれば、量子もつれはこれまで第二法則のような不可逆な性質を持つと考えられていましたが、今回のもつれ電池の導入によって、その不可逆性が覆され、量子版の理想的「第二法則的プロセス」を実現できたという意味になります。

また「もつれ電池」という概念が正常に稼働した点も、非常に重要です。

もつれ電池がもし実現できれば、法則の発見という理論の世界を超えて工学的に非常に価値があるものになり得るからです。

さらに研究チームは、この量子もつれ変換を複数セットの量子状態に同時に適用する場合の効率(つまり、目的の状態がどれくらい得られるかの比率)についても理論的に検討しました。

その結果、この変換効率が初期状態と目的の状態の「量子もつれ量の比」によって正確に決まることが判明しました。

例えば、最初の量子もつれ状態が目的のもつれ状態のちょうど2倍の強さを持っている場合、理論上はちょうど2倍の効率で変換できることになります。

これは、熱力学の世界で最も効率の良いエネルギー変換として知られる「カルノーサイクル」によく似た理想的な量子版の変換サイクルが存在することを意味しています。

こうして、今回の理論研究によって、もつれ電池を介すれば量子もつれを一切無駄なく完全に使い回すことが可能だという画期的な結論が導かれました。

しかしここで新たな疑問が生まれます。

理論上は完璧に見えるこの「もつれ電池」を、実際の実験室で物理的な装置として作り出すことは果たして可能なのでしょうか?

また、その理論的に予測された美しい可逆変換を、現実に観察することが本当にできるのでしょうか?

もつれ電池は量子テクノロジーをどう変えるのか?

もつれ電池は量子テクノロジーをどう変えるのか?
もつれ電池は量子テクノロジーをどう変えるのか? / Credit:Canva

今回の研究は、量子もつれを「使い捨て」ではなく「充放電」可能な資源として扱えることを示した点で、量子情報科学にとって画期的なパラダイムシフトといえるでしょう。

例えるなら、これまで量子もつれは「一度使えば二度と元に戻らない紙」のようだと考えられていたのが、補助さえあれば何度でも使えて形を崩さずに元通り復元できる、まるで魔法のような『再利用可能な折り紙』が見つかったようなものです。

この成果がもたらす実用上のインパクトも非常に大きいと考えられます。

第一に、量子もつれを再利用可能にすることで、量子計算や量子通信デバイスの効率が将来的に改善される可能性が高まります。

特に、複数の通信ノード間でもつれ電池を共有すれば、通信のたびに失われていたもつれを即座に補いながら情報をやり取りできるため、量子ネットワークの伝送効率は飛躍的に向上するでしょう。

情報が途中で消えず常に補充されるネットワークは、ロスなく暗号鍵を配信・再利用できる安全な通信インフラにもつながります。

第二に、量子もつれ変換に関する普遍的な原理が得られたことは、熱力学におけるエントロピー増大則(第二法則)にも匹敵する統一的な基盤を量子情報の領域に築くものです。

今回確立された「量子もつれ第二法則」は、量子熱力学(熱とエネルギーの量子的な振る舞い)と量子情報理論を橋渡しする教科書的な原理になると期待されています。

将来的には、もつれ電池の概念を他の量子的資源にも応用し、量子コヒーレンス(量子重ね合わせの持続)や量子熱エネルギーといった様々な量子資源を無駄なくリサイクルする手法へと発展させる展望も開けています。

例えば、量子コヒーレンスを蓄える「コヒーレンス電池」や、自由エネルギーを蓄える「エネルギー電池」を用意して同様に操作すれば、今回とも同じ数式で可逆性の条件を議論できるとされています。これは量子物理全体にわたって「資源を循環させれば操作はいつでも巻き戻せる」という壮大なビジョンを示唆するものです。

もちろん、実際に『もつれ電池』(エンタングルメントバッテリー)を装置として実現するには課題も残されています。

実際に「もつれ電池」を物理的に構築するには、長時間量子もつれを保持できるシステム設計やノイズ対策など、多くの技術的課題があります。

また量子状態自体が外部ノイズに非常に脆いため、デコヒーレンス(量子状態の崩壊)を抑える技術の向上も並行して求められます。現時点では理論的枠組みの検証に留まっており、具体的な試作や実証に向けた研究は今後の大きな課題です。

このように課題はあるものの、量子もつれの完全可逆操作という夢のような性質が原理的に実現可能だと示された意義は大きく、量子テクノロジーの設計思想そのものを塗り替える可能性があります。

電力網において蓄電池(バッテリー)の普及がエネルギー利用の効率を飛躍的に高めたように、量子リソースを蓄えて使い回す発想は、量子計算や量子暗号、量子センサーといった技術の常識を根底から変える転換点になるかもしれません。

今回示された「もつれ電池は量子もつれを注入・蓄積できる」という第二法則的な原理が、量子社会インフラを支える新たな基盤技術へと成長していくことが期待されます。

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元論文

Second Law of Entanglement Manipulation with an Entanglement Battery
https://doi.org/10.1103/kl56-p2vb

ライター

川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。

編集者

ナゾロジー 編集部

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